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明日への一石~大変革期を考える
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記者解説 編集委員・曽我豪

 平成の激動期から取材を続けた記者たちが3回にわたり歴史を振り返ります。政治と経済、国際関係で何を改革しようとし、何が失われたのか。その証言です。

 衆院選で勝てる顔。自民、立憲民主党とも党首選を支配するのは目先の計算だ。候補が乱立しようと、現職と前職らの戦いだろうと根っこは同じ。目線をあげ危機の時代に挑む迫力が感じられない。

 時の政権が信を失い、混迷をきたすことはままある。恐れる必要はない。新秩序を生む挑戦者の台頭を促し、古い政治を刷新する起点となってきたからだ。

 平成期は自民党の混迷と共に始まった。1989(平成元)年1月の党大会。作家・曽野綾子氏のあいさつが根を暴く。

 「皆さまは国民が現在、自民党に対し根強い不信の念を持つようになっていることにあまり気付いていない」

 「リクルート事件で政治家は国民を愚かなものとなめて考えられました。慎みと誠実さを欠くすべての行為は傲岸(ごうがん)さを示します」

 その通りだった。2月の参院福岡補選で自民党は惨敗。中曽根康弘前首相の証人喚問を求める野党共闘は固まり、政府予算案の衆院通過さえ宙に浮く。国会対策の手だれがそろう最大派閥・竹下派も野党を分断できず、竹下登首相は4月末、退陣を表明した。

 曽野氏が加わった「政治改革に関する有識者会議」が首相に答申したのは退陣表明の2日後。遅きに失した。自らの手で疑惑解明と再発防止を進めぬ限り、混迷は消せない。「1強」の限界だった。

 ただ、新秩序をもたらしたのは既存野党でない。93年の衆院選で社会党は議席半減の敗北を喫し、代わりに「新党ブーム」が自民党の過半数獲得を阻んだ。

ポイント

 自民党の単独政権を基軸とする昭和期から政権交代と連立の平成・令和期に移った。永田町の新陳代謝を掲げる挑戦者が混迷を打破してきたが、その不在が最大の問題。自民には時代転換の意識、非自民には粘り強い政権戦略。課題は歴史的に明白だ。

 とりわけ日本新党(細川護熙…

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