ドイツ語で家族伝承を語る豊嶋起久子さん。右は片岡カイ・フィリップさん=2024年11月22日午後1時46分、広島市中区、副島英樹撮影

 一家6人の中でただ一人生き残った11歳の少女「ひろこちゃん」。その被爆体験を「家族伝承者」として伝えるソプラノ歌手の豊嶋(てしま)起久子さんが、被爆80年に向け、新たにドイツ語で活動する準備を進めている。高齢化する被爆者に代わる証言者として広島市が養成する「伝承者」の活動で、日本語と英語の他にドイツ語が初めて加わる。

 11月22日、広島市中区の広島国際会議場講習室。豊嶋さんはドイツ語での伝承に向けた最後の実習に臨んだ。説明用スライドを映し出しながら、「ひろこちゃん」その人である従伯母(いとこおば)の豊島(てしま)廣子(ひろこ)さん(90)に代わり、ドイツ語で半生を語り始めた。

 厳島神社ゆかりの能楽師一族に生まれ、広島市の縮景園が遊び場だったこと。一家で上京後に東京大空襲で焼け出され、一人で静岡に学童疎開中、両親と兄妹から手紙が届いたこと。さらに青森へ疎開し、能楽師の父が迎えに来てくれて広島へ戻ったこと。

 そして、原爆投下の前日、疎開先の宮島まで会いに来てくれた家族を見送ったのが永遠の別れとなったこと。「もう少しで家族一緒に宮島で暮らせるから」と母に言われ、その言葉をそのまま信じていたこと……。

 廣子さんの今の思いも伝える。「絶対に戦争は嫌。戦争はしちゃいけん」「戦争と原爆で大切な人を次々と失い、骨も見つからなかった。無限の苦しみが今でも襲ってきます」。最後に豊嶋さんは問いかけた。「あなたの大切な家族が、ひろこちゃんの家族のように突然消えてしまったらどうしますか。それを想像してみて下さい」

 豊嶋さんの実習を見守っていたのは、豊嶋さんのドイツ語訳を監修したドイツ出身の片岡カイ・フィリップさん(41)。2015年に妻の故郷の広島に移り住み、広島市経済観光局の海外経済交流員を務める。実習後、感情移入の調整や表現のニュアンスなどについて助言した。

 豊嶋さんの講話の原稿を初めて読んだ時、何度も涙が出たという。「廣子さんらが体験した、その時々の実際の気持ちを察すると、苦しさが伝わってきた」と振り返る。片岡さんには小学生の子どもが2人いる。「自分の子どもがそんな体験をしたらと考えるとたまらなくなります」

 ドイツ語の表現を何度も推敲(すいこう)し、手紙の引用部分などはドイツ語の古風な言い回しを意識した。今後は、片岡さん自身が原稿を読み上げた音声をデータに収め、参考にしてもらうつもりだ。

 豊嶋さんは、長くウィーンを拠点に欧州で活動してきた。「広島は原爆の後どうなったのかとよく聞かれた。伝承者として細かく伝えられるよう試行錯誤しながら練習を重ねていきたい」と話す。「被爆体験伝承者」として被爆者・岸田弘子さんの証言を語り継ぐ活動でも、ドイツ語版づくりを片岡さんと二人三脚で進める。

 広島市によると、11月1日現在、外国語での「伝承者」活動は他に英語のみで、被爆体験伝承者240人のうち27人、家族伝承者40人のうち3人が取り組んでいるという。(編集委員・副島英樹)

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