バイクに乗って通りすぎようとする郵便配達員を見つけると、すかさず「ポストマンに声をかけましょう」と言いながら、歩み寄る。

 「総裁になる生田ですが」

 「大船団を率いて船出の心境」で臨んだ、日本郵政公社総裁への就任。直前の2002年暮れに取材でお願いした自宅近くでの撮影は、あっという間に構図が決まった。

生田正治さんのお別れの会では、日本郵政公社総裁に就任する直前に取材で撮影した写真も飾られていた=3月14日、東京都内のホテル

 「浜と港町がなじみの風景」の神戸で育ち、戦死した父と同じ道へ。国際派の海運マンとして商船三井で過ごした46年間、「世界を結ぶ重要な貨物輸送」との強い自負を原動力に、即断を重ねる。

 米国、オランダ、香港の海運会社には「歴史上にないグローバルな提携を」と持ちかけ、粘り強く細部を詰めた。合併も、当時の常識だった銀行や官庁への相談は一切せずに、当事者どうしで信頼関係を深めて協議をまとめた。

 「競争力は、保護の中からは出てこない」との一貫した思いは、当時の小泉純一郎首相に請われて転じた郵政の世界でも、揺るがなかった。

 細る郵便事業に代わる収益の…

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