【動画】能登半島地震1年―被災者が語るいま―
甚大な被害をもたらした能登半島地震から1年。被災地では少しずつ復興が進み始めている。
大規模な火災で焼失した石川県輪島市の観光名所「輪島朝市」があった場所に昨年12月に向かった。発災直後は焼け残ったビルや車が残っていたが、今はほとんどが更地になっていた。現地では、重機の音が鳴り響き、がれきを積んだトラックが行き交っていた。
輪島朝市で海産物を販売していた「遠島商店」の店主、遠島孝子さん(63)は、発災当時、朝市から離れた自宅にいたという。大きな揺れが来たのは、夕飯の支度をしようとした時だった。
まず、思い浮かんだのは、津波。急いで避難したが、途中で道路が隆起していて、動けなくなり、近くにあった建物の3階に避難した。そこで見えたのは、遠くで燃え上がる朝市の炎だったという。
「早く誰か火を止めて」
翌日、朝市付近に行ってみるとまだ鎮火しておらず、煙がくすぶっていた。「戦争の焼け野原みたいだ」と立ちすくんだという。
「輪島朝市」は、同市内の商業施設「パワーシティ輪島ワイプラザ」で、同年7月に再開した。野菜や工芸品などを販売する約40店が参加している。遠島さんも再開した朝市で、海産物を販売している。
少しずつ生活が落ちついてきた矢先の同年9月。豪雨が被災地を襲った。ワイプラザのすぐ近くにあった遠島さんが暮らす仮設住宅も床上まで浸水。雨が強かった時間帯は、復活した朝市で働いていたが、腰のあたりまで水につかりながら仮設住宅に残した荷物を運び出したという。近くの駐車場に停めていた車も水に浸かり、廃車することになった。
「地震で家をなくして、豪雨で車を失った。二つの災害で多くのものを失った」
「二重被災」で心が折れそうになる中、支えとなったのは、お客さんとの交流だった。店主として、ほぼ毎日、店に立つ遠島さんは、「みなさんがおいしいと言って買いに来てくださる。みなさんの言葉で自分は支えられているなと思っています」と話す。
いま、願うことは、やはり…