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土砂の上に供えられた花=2024年12月30日午後3時10分、石川県珠洲市仁江町、金居達朗撮影

 504人の命を奪った能登半島地震から、元日の午後4時10分で1年になります。新春を祝う特別な日に、大切な人を奪われ、かけがえのない暮らしを傷つけられた能登。年末年始を迎える人々の姿や風景を詳報します。

■■■2024年12月31日の動き■■■

18:00

空港の仮設宿泊所 ひっそりと

 石川県輪島市の能登空港敷地内にある仮設宿泊所は、ひっそりとしていた。主な利用者は県庁や県外から応援に入る自治体職員で、年末年始は帰省しているという。明かりのともる部屋はほとんどなかった。

 コンテナハウス型など346人分288室を備え、支援者向けに3月に設置。奥能登はもともと宿泊施設が少ない上に、被災によって休業する施設も多く、宿不足が課題となっていた。

 支配人の宮口元木さん(46)は「あっという間の1年だった。みなさんが元の生活に戻り、早くこの施設がなくなることが理想。そのために活動してくれる支援者の方々に、少しでも快適に過ごしていただけるよう、来年も努めたい」と話した。

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能登空港敷地内にある仮設宿泊所。宿泊客は少なくほとんどの部屋の電気は消えていた=2024年12月31日午後6時4分、石川県輪島市、田辺拓也撮影

18:00

輪島のスーパー 帰省客らでにぎわう

 石川県輪島市宅田町の商業施設「パワーシティ輪島ワイプラザ」は、帰省客を含め多くの家族連れでにぎわった。スーパーのグルメ館には、大人数用の刺し身やすし、焼き肉の盛り合わせが並んだ。

 東京から帰省した前田亜紀さん(57)は、天ぷらを買いに来店した。実家は輪島市内の朝市通り近くにあり、元日の地震で全焼。母、兄、弟の家族4人で、被害を免れた兄の自宅で過ごす。

 地震後、兄や弟と連絡を取り合う機会が増えた。「地震があってから家族の絆が深まったように感じる」という。両親ともに市内の介護施設で暮らしている。一時帰宅した母は、今でも地震のことを思い出して涙を流すという。「力を合わせて、来年も両親を支えたい。家族で楽しく年を越します」

■和倉温泉の「総湯」に次々と…

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