日本被団協のノーベル平和賞受賞について語る長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(左から2番目)=2024年10月11日午後8時17分、長崎市岡町、榧場勇太撮影

 被爆80年の節目を前に、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞の受賞が11日、決まった。被爆地・長崎では、国際社会の核廃絶に向けた動きが後押しされると、喜びの声が広がっている。

 長崎市の被爆者、三瀬清一朗さん(89)は夕食中、テレビの速報で日本被団協のノーベル賞受賞を知った。「広島、長崎のたくさんの被爆者たちが、79年間地道に頑張ってきたことが報われた」と喜んだ。

 語り部として体験を次世代に伝える活動を続け、今年の長崎市の平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げた。「種をまいてきたことが、ようやく芽が出たと思う。この芽が大きな花になることを、かなり遠い話にはなるが、核兵器の無い世界が訪れることを願っています」

 旧制中学の生徒だった時に被爆した長崎市の熊谷幸さん(94)は「被爆者の一人として、非常にうれしい。受賞に値すると思っていたが、やっともらえて良かった。戦争が止まるようにしてほしい」と願った。

 長崎原爆遺族会会長の本田魂さん(80)は、ロシアのプーチン大統領が核兵器の使用もちらつかせる中、受賞により原爆のおそろしさが伝わる機会になれば、と願う。被爆者の高齢化が進む中、「力をもらった。被爆者は先が見えている。核兵器反対運動を広げる力になる」と受け止めた。

 自身も被爆者で、長崎原爆病院の朝長万左男・名誉院長(81)は「やっと受賞することができた。本当にすばらしいことだ」と歓迎した。

 今回の受賞の背景について、「直近3年間は国際紛争が激化する残念な状況が続いており、核兵器保有国に対する警鐘の意味もあるのではないか」と指摘。そのうえで、「これまでの功績だけで受賞したのではなく、今後、核なき世界を実現するために、若い世代に向けたメッセージも込められているのではないか」とみる。

 被団協の県内組織である長崎原爆被災者協議会は11日夜、緊急に記者会見を開いた。被爆者らは抱き合いながら喜びを語り合った。飛行機のなかでニュースを知ったという田中重光会長(83)は、「最高の日です。鬼籍に入っている先輩の努力を、若い被爆者たちが引き継いで頑張ってきた。核兵器をなくす運動に参加した世界のみなさんともらった」と話した。

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 核廃絶を願い歩んできた長崎の人たちも受賞を祝い、被爆者の歩みに敬意を表した。

 長崎の被爆3世で、一般社団法人「Peace Education Lab Nagasaki」代表理事の林田光弘さん(32)は、日本被団協の被爆者らとともに2016年から5年間、核兵器廃絶を求めるヒバクシャ国際署名を集めた。「差別などもあり、被爆者だと告白して生きていくだけでもすごく過酷な状況なのに、被爆した経験を自分の傷だけでなく、人類の傷だとして運動してきた強さ、すごみがある。そこに感動し、突き動かされてきた」と話す。

 「核兵器廃絶に向けた運動を被爆者任せにせず、私たちがやるという意識に変わっていかなくては」とも語った。

 高校生1万人署名活動に取り組む一人、活水高校2年生の島田朱莉さん(17)は「署名活動について県外や海外では知らない人も多い。受賞したことで、被爆者のことや、核廃絶や平和を願う人がいることを世界の人々に知ってもらえたらうれしい。これからも活動を継続していきたい」と話した。

 長崎市の鈴木史朗市長は「(日本被団協の)会員の皆様の訴える壮絶な被爆体験に基づいた核兵器の非人道性は、国際世論に大きな影響を与え、広島、長崎に続き核兵器が使用されることを防ぐための大きな力になるとともに、核兵器禁止条約誕生の源となった」としたうえで、今回の受賞は「平均年齢が85歳を超える被爆者の皆様の長年の地道な取り組みが世界に認められた証し」だと語った。

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