韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が突如宣告した「非常戒厳」は、同国のみならず世界を震撼(しんかん)させたが、市民や政治家らが映画さながらに軍人に立ちむかい、わずか数時間で撤回に追い込みました。人々はなぜ行動したのか。できたのか。隣国の民主化の歩みを静かに見つめ、寄り添ってきた真鍋祐子さんに聞きました。
「憲法破壊する泥棒行為」
――「非常戒厳」の報を聞いた時、まず何を思いましたか。
「私は韓国の民主化運動の犠牲者の遺族会と30年間、交流し、研究してきました。ニュースを見た瞬間、犠牲者や遺族らの顔が頭の中にわっと浮かんで来て、尹大統領へのえも言われぬ憤りを覚えました」
「韓国は1987年に民主化されました。その際の6月抗争で催涙弾を受けて亡くなった李韓烈(イハンニョル)さんのお母さんが、かつて私に話してくれた言葉を思い出しました。彼女は泣きながら、こう言いました。韓国の民主化は多くの犠牲の上にもたらされた。なのにその民主化にあぐらをかいて、何ごともなかったかのように振る舞うのは、犠牲者の命をむだに盗む泥棒みたいだと」
「軍を使って人権を侵害しようとしたこの非常戒厳は、犠牲の上に勝ち取った憲法を破壊する行為で、彼女の言葉を借りれば泥棒そのものだと思います」
――幸いにも「非常戒厳」は早期に収束しました。国会には多くの市民たちがすばやく駆けつけ、兵士らともみ合いになりました。なぜこんな行動がとれたと思いますか。
「韓国の歴史で、非常戒厳令…