観光大使を務めた宮城県栗原市であった渡米前の激励会。思いがあふれ、涙ぐむ場面もあった=2024年6月14日、宮城県栗原市、石橋英昭撮影

 「ブロードウェーの舞台に立ちたい」

 少女はそんな無邪気な夢を持っていた。芸能界の入り口にと受けたオーディションは、最終選考を残すだけだった。

 東日本大震災が起きたのは、その2日前。

 自宅は大きく揺れ、車中で夜を過ごし、祖父母の家に避難した。オーディションを辞退しようと事務所に連絡すると、「延期になったから、必ず受けて」と言われた。

 「あなたが東北に元気を与えられるかもしれないわよ」。母親が背中を押した。

 岩田華怜(かれん)、このとき12歳。

 2011年春、震災後の混乱さなかの仙台から東京へ。人気絶頂だったAKB48の第12期研究生になった。

 アイドルには「アンチ」がつきものだ。岩田にもそうだった。

 「震災枠でAKBに入った子」。冷ややかに見るファンは少なくなかった。AKBが復興支援活動をするのに、被災当事者がいる方が説得力はあるのだろう。岩田自身そう思った。

「私が『被災地代表』でいいのかな」 悩んだ日々

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AKB48の被災地支援活動で、宮城県名取市を訪れた岩田華怜(左)=2012年3月、AKB48「誰かのために」プロジェクト提供

 翌12年3月、最年少(当時)で正規メンバーに昇格。5月にはシングル表題曲の選抜メンバーに抜擢(ばってき)された。震災がらみのテレビ番組で露出も増えた。

 岩手、宮城、福島。トラック…

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