米国が太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で史上最大の水爆実験を行い、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)してから3月1日で71年となる。他の漁船にも及んだとされる被害の全容はいまだわからないまま。その解明と補償を求める声を届けようと、3月3日から米ニューヨークで始まる核兵器禁止条約の第3回締約国会議へ向かう人がいる。

 「私の父親が働いていた船も、その中にいました。船員たちは何の説明もされないまま放置されました」

 高知市に住む下本節子さん(74)は2月、そう伝えるスピーチ原稿を書き上げた。締約国会議を傍聴し、街頭や国連本部でのイベントで話す予定だ。

 「太平洋で起きた被害が、終わったこと、なかったことにされている。せめて知ってほしい」。初めての米国訪問を決めた。

米国による核実験で故郷を追われた島民と抱き合う下本節子さん(右)=2024年2月29日、マーシャル諸島マジュロ、花房吾早子撮影

 下本さんの父、大黒藤兵衛さん(当時30歳)は1954年3月1日、ビキニ環礁の周辺海域を航行していたマグロ漁船「第七大丸」の乗組員だった。病を患い、36歳で雇い止めに。2002年、胆管がんのため78歳で亡くなった。

 2年後、父と同じように周辺…

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