能登かきの水揚げをする輪島漁師の大角一平さん(左)と浦見一智さん=2024年4月28日午前6時19分、石川県七尾市、上田真由美撮影

 能登半島地震で大きな被害を受けた石川県内の漁業。陸揚げに十分使える漁港は全体の3分の1に満たない。仕事を求めて能登を離れる漁師もいるなか、とれる魚も漁法も違う能登半島の東西を越え、支え合おうという交流が生まれている。

 七尾湾に浮かぶ船上で4月下旬の朝5時半、男性2人がクレーンを使い、カキが連なるロープを引き揚げていた。息の合った様子で黙々と、すずなりになったカキを外していく。

 2人は地震前まで、輪島市で漁師をしていた。浦見一智さん(43)は「家は住める状態じゃなくなって、港は隆起して俺の船は海に出せないまま」と話す。大角一平さん(42)は、輪島から北に約50キロの沖合にある舳倉(へぐら)島で漁をしながら民宿を営んでいた。元日は島外におり、島には一度も戻れていない。「帰れるのはいつになるのか……」

 地震で特に大きな被害を受けたのが、輪島をはじめ「外浦」と呼ばれる半島の西側だ。90メートルにわたって隆起し、鹿磯(かいそ)漁港では最大で約4メートルと確認された。水産庁(1日現在)によると、県内69港のうち、使用可は21港、一部使用可が29港。輪島市内では12の港のうち、11港が使用不可だった。

石川県の海岸総延長は584キロ。地域によって特徴の全く異なる漁業を営んできた3人が、一つの船で海に出たのは、元日の地震から10日後のことでした。

 漁に出られず、住むところも…

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