《あの日の夜半、国道43号線の高速道路下を学生時代から5年間を共にした愛車を駆っていた》
日建設計の水出喜太郎常務執行役員(55)は、1995年1月17日未明、新しい生活への期待を胸に兵庫県西宮市の寮に到着した。新人研修期間を終えてやってきた「新天地」で、まどろんだ時、地震は起きた。
《直感と想像力の及ばない恐ろしさを感じた。自らが昨夜通ってきた43号線を倒れた高速道路がふさぎ、橋脚から落ちた高速の路盤にバスが宙づりになる様を目の当たりにした》
これは阪神淡路大震災から30年に合わせ、日建設計(東京都)の広報室が役職員やOBらに声をかけて集めた「手記」の文章だ。
水出さんは、記した理由について「ぜひ共有したいという思いが強くなってきていた。ふと思い出すと、あの2、3年ぐらいは強烈な体験だった」と語る。
《俯瞰(ふかん)しようとしては混乱し、しかし着実に復興する街で生活するなかで、少しずつ物事を普遍化し観念にしてきたように思います》
「設備や機械、エネルギーに頼るだけではダメ。自然の光で昼間に作業ができるなど、災害時に使えるような建築が必要だと感じて、実践してきた」と説明する。
当時、構造設計室長だったO…