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「グレー」が苦手なら、「白と黒のまだら」という発想はいかが?=イラスト・中島美鈴

 「白黒思考」という言葉を聞いたことがありますか? 失敗か成功か、いい人か悪い人か、最良か最悪か……といった、二者択一的なものの見方のことを指しています。

 例えば、日曜大工で本棚を作ったけれど、背面にちょっとズレが生じている場合に「ああ、失敗だ」と考えるとしたら、これが白黒思考です。本棚は完成していて、本も並べられるし、正面から見れば立派で美しいにもかかわらず、当の本人は後ろの誰も見ないズレが気になり、そのせいで「失敗」という極端すぎる判断をしているのですね。

 こうした考え方ですと、「成功」にたどり着くまでに本棚をあと五つは作らなければならないかもしれません。しかし、それで成功すればいい方で、結局何を作ってもあらが目についてしまって、永遠に「失敗」続きだと思えてしまうとしたら……。ずいぶん満足度の低い人生になってしまうと思いませんか。こうした考え方はうつと関係が深いのです。

白黒思考に陥りやすい「不器用」な人

 タイトルにもある「不器用」な人は、白黒思考に陥りやすいように思います。

 器用な人は、本棚の出来が多少悪くても「まあ今回は90点の出来栄えだ。初心者ながらよくできた」と柔軟に受け止めるでしょう。90点分は喜べるのです。

 多くの人が不器用な人に対して、「白か黒じゃなくて、もっと物事をグレーに見てみては?」と助言したがるものです。その方がこの不確定要素の多い世の中を渡っていきやすいからです。

 今回の本棚の例は、そこまで人生に影響がないように見えますが、これが仮に「職場のあの人は好きだけど、あの人は大嫌い。だから一緒に仕事なんてできない」「最初はお隣さん、いい人だと思ったのに、回覧板の回し方も、ゴミの出し方も、カーテンの閉め方も気に入らない。もう顔も見たくない」のような白黒思考の場合、なかなか生きづらいことになるのです。

 さて、前置きが長くなりましたが、今回も注意欠如・多動症(ADHD)の主婦リョウさんのお話です。

少し嫌なところがある=「全部嫌い」?

 リョウさんの娘さんは、小学6年生。思春期に突入しました。最近では女子同士でお出かけすることも増えているようです。

 ある日、娘さんが友達と映画館に行って帰宅したときのことです。口をとがらせて、こう言うのです。

 娘「もう、友達なんか信じない。Aちゃんと映画館の帰りにクレープ食べようって約束してたのに、Bちゃんが『ハンバーガー食べたい』って言い出したら、Aちゃんも『そうしよう』とか言うんだよ。ひどいよ。Aちゃんなんか大嫌い」

 リョウさんからすれば、ささいでかわいらしい娘の出来事。しかし、娘からすれば一大事で、「もうAちゃんとは遊びたくない」とまで言うのです。

 実はこういうところ、リョウさんの小さい頃にそっくりです。リョウさんも娘さんも人に対して不器用なのです。なので、人に対してまあまあの距離感で接することができず、「好き」と「嫌い」の両極端を行ったり来たりする羽目になります。

 少しでも嫌いなところが見えてしまうと、全部嫌い。そうなるともう口も利きたくない。といった具合です。白黒思考ですね。

 リョウさんの娘さんはこう言いました。

 娘「ねえ、ママ、どうしたらいいと思う?」

 助言を求められるとリョウさんは、はりきってアドバイスしました。

 リョウ「まあ、そんなに好きか嫌いかどっちかで決めなくてもいいんじゃない? まあまあいい友達ってことで」

 ここまで言うや否や、娘は言い返します。

 娘「まあまあ友達って何? そんなの友達じゃないでしょ」

 リョウさんはどう対応していいかわからなくなりました。

「グレー」ではなく「白と黒のまだら」と捉えよう

 この反応、実は大人にも多くみられるものです。

 「まあまあ」とか、「適当に」とか、「グレーで、ほどよい距離感で」とか、もやっとしますよね。

 人は白か黒かはっきりしている方が不安じゃないからです。

 またAちゃんに裏切られて傷つきたくないから、「まあまあの友達」というグレーじゃなくて「裏切る友達」と真っ黒にしてしまった方が、リスクを避けられるというのです。

 こうした場合には、無理やりグレーを推奨しないのがコツです。

 白と黒のまだら(つまり混ざり合わない状態)としてそのまま理解するのはいかがでしょう。無理に人間全体をひとつにまとめようとするので無理が生じるのです。

 「Aちゃんは一緒にいたら楽しくて、自分が元気ないときには優しく励ましてくれた。1:1でつきあう分には心地よい人だ。しかし、忘れっぽいところがあって、他の人が絡むとその場の雰囲気でBちゃんを優先してしまう無責任なところがある」

 いかがでしょうか?

 いいところ、悪いところ、それぞれがある集合体であり、結論全体でいい人か悪い人か、まとめてしまわないとよいのです。

 もっといえば、「いつも~の人」とまとめてしまわずに、「1:1でつきあう分なら楽しい」けれど、「3人以上の状況になると、自分を優先しないこともある」と場合分けするとより実際的な理解になると思いませんか? 1:1の時には警戒なくつきあえばいい。しかし複数人で会う時には、期待しすぎない。といった具合です。

 この場合分けの方法に、娘は首をかしげながらも、少しだけ気持ちを落ち着かせることができたようです。

 不器用さんには、不器用なりの思考の整え方が必要だと思って、私ももがきながら生きています。参考になっていたらうれしいです。

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 このコラムでご紹介した考え方のクセについてもっと知りたい方は、著者の本「悩み・不安・怒りを小さくするレッスン」(光文社新書)もどうぞ。

<なかしま・みすず>

 1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部、福岡県職員相談室などを経て、現在は九州大学大学院人間環境学府にて成人ADHDの集団認知行動療法の研究に携わる。(臨床心理士・中島美鈴)

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