写真・図版
1994年、初めて訪れたニューヨーク。一番右が西村さん、一番左はともに歩んできた石田絹子さん=石田さん提供

 大阪府の西村かつみさん(76)は14日、関西空港からスイス・ジュネーブへ向かう。目的地は、8年ぶり5回目の国連だ。30年前には縁もゆかりもなかった地には、悔しさも喜びも、希望ももどかしさも、人生のすべてが詰まっている。今回はバトンをつなぐ旅ともなりそうだ。

 同期の男性たちはだれもが管理職となっていた。後輩の男性も昇進。なのに、女性たちはみな平社員のままだった――。

 高校を出て入社した住友電気工業(大阪市)で、職場のおかしさに確信を持ったのは40代に入ったころだった。結婚し、2人の娘が生まれた後も働き続けていた。

 「自分の食いぶちは自分で稼ぐ」。女性は結婚したら退職するのが当たり前とされていた時代だが、裕福とはいえない家庭で育った西村さんにはそんな思いがあった。

 なぜ、女は責任ある仕事を任せてもらえないのか。働く女性たちの勉強会に参加した。まもなく、この悔しさを「女性差別」と受け止め、向きあってくれる場所があると知った。ニュースや教科書でしか知らない、国連という舞台だった。

 実情を訴えるリポートを届けられる。審議を傍聴できる。それなら行ってみよう。仲間とともにニューヨークへ飛んだのは1994年、45歳の冬だった。この旅が日本を変える力になるとは、そのときには想像もしていなかった。

女性の人権に関する「世界の憲法」といわれる女性差別撤廃条約にもとづき、国連の女性差別撤廃委員会が今月、日本政府によるジェンダー平等への取り組みを8年ぶりに審査し、勧告を行う。記事後半では、その審査に声を届けようと5回目の国連の地におもむく西村さんの歩み、そして新たな仲間の思い、今回の審査の注目ポイントなどをお届けします。

  • 【そもそも解説】8年ぶりの国連女性差別撤廃委員会の審査、注目は?

 英語で日本の実態を記したビ…

共有