人柄がよく誰からも慕われていた、ある歌舞伎俳優の葬儀でのこと。涙を流す参列者を前に、まだ若く五代目中村勘九郎を名乗っていた勘三郎さんは、傍らにいた姉の波乃久里子さんに「やっぱりいい人だったんだねぇ」と、感嘆したようにささやいた。「いいなあ。僕が死んだ時、みんな泣いてくれるかな」
3歳で歌舞伎の初舞台を踏み、映画やドラマでも「名子役」ともてはやされた弟の勘三郎さんを、10歳上の久里子さんは本名の哲明(のりあき)から「ノリ」と呼び、一番近くで見てきた。
「ちやほやされて育ったから、幼いころは人を人とも思わぬ子。気に入らないと、げた箱をばーんと蹴飛ばして。家庭教師さんも15人変わりましたよ」。だが16人目だけは、内心慕っていたらしい。彼も辞めたと知るや泣きながら裸足で追いかけ、涙のきらめく瞳で「辞めないで」とすがったという。
「誰が断れます? 悪い子よねえ、無自覚の愛嬌(あいきょう)、生来の人ったらし。でも作って愛されようとすれば相手は逃げることも知っているから、決してこびることはない。そんな賢くて憎たらしくて可愛いノリが、私は本当に大好きだった」
自然で透明感あふれる初代水谷八重子さんの芸に心酔し、10代で劇団新派の俳優になった後も、久里子さんは弟の芸の冷静で、時に辛辣(しんらつ)な観察者であり続けた。
自宅稽古場で夜更けまで1人…