「想像よりも腰の低い、さわやかな青年」。それが第一印象だった。
2003年秋。当時日本ハムファイターズの編成トップだった三沢今朝治(けさはる)さん(83)は、入団交渉の席で対面した新庄剛志について、そう振り返る。
新庄は大リーグでの3年目のシーズンを終え、新天地を探していた。
三沢さんは、後の「ビッグボス」が言い切るように口にした二つの約束に驚かされた。
「札幌ドームを満員にします」
「必ず3年以内に優勝させます」
当時の本拠地は巨人と同じ東京ドーム。成績の低迷に加え、人気球団の陰に隠れて集客に苦しみ、球場使用料が経営を圧迫した。
ある年の消化試合。三沢さんが球場を見渡すと、観客は実数で3千人にも満たなかった。
「お客さんのまばらなスタンドを見て、果たして何年ここでやっていけるのかと思っていた」
そんな中で決まったのが、04年シーズンからの北海道移転だった。
移転に向けて、球団は北海道の野球ファンを対象としたアンケート調査に乗り出した。
その9割近くが巨人ファンという結果だった。
日本ハムはほとんど浸透しておらず、野球ファンが知っている選手として挙げるのは02、03年に首位打者を獲得した小笠原道大ぐらいだった。
「北海道で受け入れられる球団になるか不安だった。みんなが喜んで見に来てくれる、目玉の選手として浮かんだのが新庄だった」
新庄は福岡・西日本短大付高から阪神に入団して3年目の1992年、亀山努とともに「亀新」フィーバーを巻き起こした。阪神時代はベストナインを2度、ゴールデングラブを7度受賞。紛れもないセ・リーグのスター選手だった。
03年の夏ごろ、当時大リーグ・メッツに所属していた新庄に日本球界復帰への意思があるとの情報をつかみ、三沢さんは獲得に動いた。
新戦力獲得について協議する球団の役員会。
- 断りから一転、社運かけた50億円投資 「エスコン」命名権の爆発力
そこでは懸念の声もあったと…