太平洋戦争末期の苛烈(かれつ)な地上戦で「玉砕の島」として知られる、東京都小笠原村の硫黄島(いおうとう)。日本軍約2万1900人、米軍約7千人が戦死した。米軍が上陸してから80年になる2月19日、戦時中の強制疎開後に帰れないままとなっている旧島民らでつくる一般社団法人「硫黄島帰島促進協議会」が、国土交通省に「帰島を認めない違憲施策に終止符を」と訴える要望書を提出した。なぜ、今なのか。思いを聞いた。

1931年ごろ、硫黄島の尋常高等小学校の全校児童。子どもの多さが当時のにぎわいを伝える=全国硫黄島島民3世の会提供

 「みんなで帰ろうじゃねえか!」。子どもの頃に見た、大人たちが声をあげる姿を、麻生憲司さん(61)は忘れられない。家の玄関には「硫黄島帰島促進協議会」と彫った木札があった。

 一家は戦争で故郷を追われた。明治時代に硫黄島に渡り、島を開拓した曽祖父。仲間たちと会をつくり、帰島運動を率いた祖父。会には200人以上が集い、父ものちに会を束ねた。

 島出身者は減る一方だが、思いをつなごう、と憲司さんもあとを継ぎ、11代目の会長をつとめる。「硫黄島の旧島民は、今も疎開中です。80年たっても、硫黄島の戦後は終わっていない」

硫黄島は戦前、どんな島だったのでしょうか。島で生まれた女性は「宝の島」だと言います。

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