袴田事件のDNA型鑑定を振り返る本田克也さん=2024年9月23日午後3時21分、茨城県つくば市、高橋淳撮影

 1966年に静岡県のみそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人などの罪で死刑が確定した袴田巌さん(88)が、再審無罪となった。袴田事件で静岡地裁による再審開始決定(2014年)の根拠となったDNA型鑑定を実施し、足利事件でも弁護側DNA型鑑定を担当した本田克也・筑波大名誉教授に話を聞いた。

 ――袴田巌さんの無罪をどう受け止めますか。

 「12年前にDNA型鑑定を実施し、証拠品の衣類の血痕が袴田さんのものではないことを確信しました。無罪がようやく認められ、ほっとしています」

 ――DNA型鑑定を引き受けるきっかけは、足利事件にあったそうですね。

きっかけは足利事件

 「足利事件のDNA型鑑定の記事を読んだ袴田さんの弁護団から『鑑定を引き受けてもらえないか』との依頼がありましたが、最初は断りました。再審をめぐって捜査当局と激しく対立するかもしれない鑑定を引き受けることはよほどの覚悟が要ります。足利事件でその苦労を味わい、やっと解放されたばかりのころでした。早く本来の研究生活に戻りたかったんです」

 ――どんな苦労があったんでしょうか。

 「私の鑑定は菅家利和さん逮捕当時の警察庁科学警察研究所(科警研)の鑑定を根底から否定するものでした。これに対し科警研側も裁判で私の鑑定に対し激しい批判を展開します。法医学者としてそれまで良好だった警察との関係も一変しました。法医学者の仕事の多くが警察の依頼を受けて行う解剖や検査なのですが、そうした仕事も減っていきました」

 ――それでも鑑定を引き受けることになります。

 「これが使命と覚悟したのです。が、実際に鑑定するまでが大変でした。検察側が『(血痕のついた証拠の衣類は)古く、血液以外の成分で汚染されている』と激しく反対したからです。地裁からは『血液のみから確実にDNAを抽出できる方法がない限り、鑑定は認めない』とも言われました」

 ――それでもDNA型鑑定をすることが決まり、東京拘置所に採血に行ったんですね。

 「12年3月です。実際の採血は私が待機する隣の個室で医務官が行ったのですが、袴田さんはとても落ち着いた様子で、普通に会話しているのが聞こえてきました」

 ――そのDNA型鑑定を静岡地裁が認め、死刑執行が停止され、袴田さんは47年7カ月ぶりに釈放されました。

 「拘置所から外に出た袴田さんをテレビで見て、まるで我が子が生まれてくるのを見るようで胸に迫るものがありましたね」

 「一方、検察側の抗告で審理…

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