きたやまおさむさん

 ベトナム戦争中の1970年に発表された名曲「戦争を知らない子供たち」。歌詞を手がけた作詞家のきたやまおさむさんは、この曲だけはいつまでも歌い継がれてほしいと語ってきた。

 反戦歌と紹介されることもあるが、発表当時は「軟弱だ」との批判も浴びたという。戦争を知らない世代が平和や反戦を語る行為にはどんな独自の意味があるのだろう。精神科医でもあるきたやまさんに聞いた。

「軟弱だ」 左翼から寄せられた批判

 ――戦争が終わって僕等(ぼくら)は生まれた/戦争を知らずに僕等は育った……。そんな歌詞で始まる名曲「戦争を知らない子供たち」を作詞して、もう半世紀もたったのですね。

 「作詞家として450以上の曲を作ってきました。中でもこれだけはずっと歌い継がれてほしいなと思っている曲が『戦争を知らない子供たち』です。作曲は杉田二郎で、発表したのは1970年。ベトナム戦争のさなかでした」

 「日本は当時、先の大戦が終わってまだ25年。若者が平和を語ると、戦場を知る親世代や焼け跡派の大人たちから『戦争の恐ろしさも知らない子供のくせに』と批判が来る時代でした。僕の父も、満州(中国東北部)に出征していた経験のある人です。昭和は、戦争を知る人と知らない人が混在していた時代でした」

 ――きたやまさんは、まさに1946年のお生まれですね。

 「ええ。敗戦翌年に生まれた僕にも、戦争を知らないのに平和を語れるのかという逡巡(しゅんじゅん)はありました。でも曲には、知らないからこそできる平和の語り方もあるはずだとの思いを込めました。僕らの口を封じようとする大人たちに対して、戦争を知らない世代がいることにはプラスの意味もあるはずだと叫びたい気持ちがあったのです」

 「今でこそ反戦歌だとも紹介される曲ですが、実は当時は左翼の人から『軟弱だ』『あちこちで戦争が起きているのに知らないとは、どういうことだ』と批判されました。ライブ会場で『帰れ』コールが起きたこともあったと聞いています」

「戦争はイヤだ」 素直に表現できるか

 ――どんな思いで批判を受け止めていたのですか。

 「確かに、歌詞に登場する『僕等』は平和の歌を口ずさんだり涙をこらえて歌ったりするだけで、ヘルメットをかぶって闘争したりはしません。行動をするにしても、青空と花びらが好きな人に向けて『一緒に歩いてゆこうよ』と呼びかけるだけで、反戦の戦いが持つ勇ましいイメージとは対照的です」

 「でも僕は『戦争はイヤだ…

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