「悲しみでつながる人の縁があってもいい」。その言葉が、事故や災害で大切な家族を亡くした人たちの気持ちを、包み込んできた。1985年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故の遺族、美谷島邦子さん(78)=東京都大田区。1日、宮城県名取市を講演に訪れ、東日本大震災の遺族と語り合った。
群馬県御巣鷹山で520人の犠牲を出した日航機事故で、美谷島さんは当時、小学3年生の息子を亡くした。遺族仲間と4カ月後、「8.12連絡会」を結成。事故の再発防止策や被害者支援を求め、社会の仕組みを少しずつ動かしてきた。
「事故を悲惨なだけの出来事にしたくない。風化させないためにも、悲しみと向き合って、声をあげてきた」と美谷島さん。その存在は、その後の大規模事故や災害の被害者の道しるべになってきた。
バラバラだった遺族、連携のきっかけに
名取市閖上を襲った津波で中…