滋賀県米原市は、戦争の悲惨さと平和の尊さを小中学生が学ぶ授業「平和の子」を今年度から始めた。初日の授業が6日にあり、児童・生徒約220人が参加。遺族らから当時の体験を聞き、戦没者らの名前を石碑に刻んだ「平和の礎」を見学した。
「平和の礎」は市が6月、同市池下に整備した。広さ約1千平方メートル。市内の戦没者と戦争犠牲者1677人の名前を刻銘した石碑7基や、市の非核・平和都市宣言(2005年6月宣言)を記した石碑、献花台などがある。広島で被爆した親木の種から育ったアオギリや、長崎の嘉代子桜(ソメイヨシノ)、沖縄のヒカンザクラも植えられている。
市内には日清、日露、太平洋戦争の戦没者を慰霊する忠魂碑が点在するが、老朽化や遺族会・自治会の高齢化で維持管理が難しくなった。今後、忠魂碑の解体・撤去を検討するとともに、戦没者を追悼し、平和学習の拠点にしようと「平和の礎」を整備した。
この日は、近くの幼稚園のホールで、市遺族会会長の瀬戸川恒雄さん(82)の話を聞いた。陸軍歩兵だった瀬戸川さんの父は1944年、兵庫県から沖縄県に向かう輸送船に乗っているとき、沖縄県沖で魚雷を受け、亡くなった。
瀬戸川さんは、アメリカの大型爆撃機B29を撃ち落とすため地元の小学校に設置された高射砲や、「家族の無事を祈る」と書かれた父からの手紙、父の死を伝える戦死公報などの画像を紹介。「平和の中に戦争の危機をはらむ時期だからこそ、戦争のむごさを語り継ぎ、決して戦争を起こしてはならない」と語りかけた。
県平和祈念館の川副順平・主任主事は、フィリピンや旧満州などで亡くなった県内の戦死者は3万2592人で、うち米原市民は1554人だったと説明した。
講話を聞いた後、児童・生徒は黙禱(もくとう)し、市の非核・平和都市宣言を朗読。平和の礎を見学した。
伊吹山中3年の福永遥さん(15)は「戦争は社会の授業で習っていましたが、米原市出身の人がフィリピンなどで戦死していることを初めて知りました。戦争の記憶を受け継ぎ、伝えていくことが大事だと思いました」と話した。
「平和の子」は市内の小学6年、中学3年生が対象。今月中に小学9校、中学6校の児童・生徒計約730人が参加する予定。