衆院解散に伴い、立憲民主党の菅直人元首相(78)が政界を引退した。市民運動家から政権交代を経て国のトップに上り詰めた異色の政治家だった。初めて議員バッジを付けてから44年。後進たちに「何年かに1回の政権交代」と「半分は女性議員」の目標を託した。
菅氏は解散前日の8日、報道各社のインタビューに応じた。この中で「私の政治人生の中で非常に大きな二つの出来事」として、自社さ連立の橋本龍太郎内閣で厚生相だった際の1996年、国の責任を認めて謝罪した薬害エイズ問題と、民主党の首相としての2011年の東日本大震災の東京電力福島第一原発事故への対応を挙げた。「特に重要な仕事ができた」と振り返る。
震災翌日の原発の視察に批判も起きたが、「私は現場主義。事態を把握し対応をとる上では非常に効果的だった」と主張。「場合によっては関東地方が住めなくなる状況だった。そこまで拡大しないで封じ込められたのは関係者の努力のおかげだが、私も責任者として全力を挙げ、危機を回避できた」と話す。
菅氏は東京工業大(現・東京…