2017年に初めて大統領に就任した際、ワシントンの米連邦議会議事堂前での就任式で宣誓するトランプ氏=ランハム裕子撮影

寄稿 朱喜哲さん

(哲学者、大阪大学社会技術共創研究センター招へい准教授)

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 4年に1度の米大統領選は、同国ばかりか人類全体の未来を左右する一大イベントだ。今回も世界中が注目するなかで投開票が進み、トランプ氏が次期大統領ということになった。米国の哲学を専門とする私にとっても他人事(ひとごと)ではない。語るべきことは多いが、ここでは日本から見えづらい米国の思想的「特殊さ」から考えてみたい。

 1月に控える大統領就任式では、右手を掲げ左手を聖書に置くというおなじみの宣誓ポーズが見られるのだろう。この聖書に象徴されるキリスト教の気配の濃密さは、日本に住む者には実感しづらい米国の特殊さのひとつだ。この世界一の大国、第2次世界大戦後の世界秩序において資本主義と民主主義をリードしてきた国はしかし、その誕生以来ずっと驚くほど「宗教的な」国でもある。

 いまに至る米国の歴史は、数多(あまた)の先住民たちが住むこの地に、英国での宗教的迫害から逃れてきたピューリタンたちが植民したところからはじまる。ピューリタンとは「ピュア」、つまり宗教的純粋さを求める立場のキリスト教徒。政治と一体化する英国教会を拒絶し、故郷を捨てて新天地に渡ってくるほどの宗教的情熱こそが、この人びとを駆り立てていた。さらにフランスやドイツからも宗教的マイノリティーが北米に植民し、徐々にその版図を拡(ひろ)げていく。

 その過程では、先住民たちが…

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