7世紀半ばに出現し、「大化改新」と呼ばれる政治改革の舞台にもなった難波宮(大阪市中央区)で10月、新たな発掘調査が行われ、大阪市教委は宮殿の新たな広がりが確認できたと発表した。

 難波宮は、孝徳天皇らが645年に飛鳥から難波に遷都し造営した飛鳥時代の前期難波宮と、この焼失後に726年に聖武天皇によって造営が始められた後期難波宮の二つの時期に分けられる。1954年から継続している発掘調査により、後期難波宮は前期難波宮の跡地のほぼ真上に建てられ、遺跡が重なっていることが明らかになっている。

 今回の発掘調査により明らかになったのは、東西約650メートルと推定される難波宮跡のうち、天皇の居室とされる内裏や、儀式が行われたとされる朝堂院の東側に位置し、役所を意味する「東方官衙(とうほうかんが)」と呼ばれる地区の南方への広がりだ。これまでに見つかっている東方官衙の回廊の柱の穴と同様の跡が14カ所確認された。さらに後期難波宮の時代に地面に敷き詰められたとみられる小石も見つかった。格の高い場所の舗装の跡だと考えられるという。

 大阪市教委の佐藤隆・主任学芸員は「難波宮の全体構造を推定していく大きな手がかりが得られた」と話す。発掘現場は19日午後1時から午後4時まで一般公開される。場所は大阪市中央区法円坂1丁目の大阪メトロ谷町四丁目駅から東へ約700メートル。(松浦祥子)

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