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現場へ! 記者が見たヒロシマ②

 「長い写真記者生活のうち、これほど激烈な事件に出会ったことはない。この広島だけは今もって私の眼底に焼きついたままである」

 朝日新聞大阪本社の写真部員だった宮武甫(はじめ)は被爆直後の広島を撮影で歩き回り、生前その記憶を31年後の社内報で述懐した。「全滅の街」で何を見たのか――。

 原爆投下3日後の1945年8月9日夕。当時31歳の宮武は大阪駅から列車に揺られ、広島駅に着いた。陸軍の中部軍管区司令部(大阪市)が在阪各社の報道陣を中心に編成した約50人の宣伝工作隊の一員として派遣された。その目的は「被災者の救援と情報の収集、市民の厭戦(えんせん)気分払拭(ふっしょく)のため」だったという。

 翌10日は「朝からカンカン照りの炎暑の一日」だった。宮武は爆心地から東へ1・2キロの警察署の屋上に立ち、全景360度のパノラマ写真を撮影する。広島が「新型爆弾」で全滅したらしいと聞いていた宮武は、見渡す限り一面の焼け野原になった惨状をくまなく撮り残した。

 そして街を歩く。丸焼けにな…

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