M&A仲介最大手の日本M&Aセンターを1991年に設立した創業者の分林保弘氏(81)。昨年6月に同社の取締役を外れたあと、M&Aを繰り返して急拡大した旧MJG(現・日本製造)の社外取締役に就く。だが、理想とは異なる実情を目の当たりにし、さじを投げて辞任していた。
分林氏が朝日新聞のインタビューに応じ、一連の経緯と問題点を振り返る。
――どのような経緯でMJGの社外取締役になったのでしょうか。
「昨年で80歳になったし、日本M&Aセンターの取締役でもなくなった。そんなころに、面白い会社があるよと、製造業を集めてうまくやっていると聞いた。同業種のM&Aと言えば、ニデックの永守(重信)さんが浮かぶ。M&Aをやるなら同業やその周辺でやるべきで、MJGは面白いことをやっているなと思った。そのときは資金繰りも知らなかったからね」
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「買ったあとの会社に興味がない」
――MJGの代表取締役と初めて会ったのはいつですか。
「昨年7月から1、2回会っ…