世界遺産の京都・清水寺で発表され、師走の風物詩としてすっかり定着した「今年の漢字」。「清水の舞台」を背景に、巨大和紙に筆をふるうお坊さんの後ろ姿は、おなじみだろう。1995年に始まり、今年で30回目を迎えた。第1回から揮毫(きごう)し続けているのが森清範(せいはん)貫主(かんす)(84)。12日に書いた一字は「金」だった。
錦秋(きんしゅう)の名残をとどめる京都・清水寺で「金」と揮毫(きごう)した。五輪の金と政治の裏金。光と影に「国民の思いが集中した」。
清水寺の門前で、6人きょうだいの4番目に生まれた。戦後の食糧難の時代、寺であれば不自由はすまいと、15歳で、祖父が堂守(どうもり)をしていた清水寺へ預けられた。手荷物はふた付きの丼鉢一つ。元貫主で独特の説法で知られた大西良慶和上に「おかわりをせんでも腹いっぱい食べられるよう、持たせてくれはったんやな」と諭され、母の心を知る。
寺から高校、大学と通い、禅寺で修行した後、清水寺に戻った。1988年、貫主に就任。思い出深いのは、2000年にあった33年に1度の本尊開帳だ。地元の願いに応えて9カ月もの長期開帳を決断。春と秋の夜間拝観を始め、「大好きな清水寺で式を挙げたい」という日仏両国のカップルの願いを聞き入れるなど、伝統の寺に時代の風を取り入れた。
書の師匠でもあった良慶和上から受け継いだものに平和への思いがある。京都初の爆撃となった「馬町空襲」は4歳の時。寺の縁の下に土囊(どのう)を積んだだけの、名ばかりの防空壕(ごう)に逃げ込んだ。
「周辺国に迷惑をかけ、原爆を落とされ、戦争は二度としないと決意した。でも最近、その決意が揺らいでいる」。いずれ書いてみたいと思う『今年の漢字』がある。それは、平和の「和」。「それまでは、頑張らなあきませんな」