冬は雪に閉ざされ、「陸の孤島」と呼ばれた新潟県刈羽村。人口4200人の小さな村に、東京電力柏崎刈羽原発7号機がある。国や東電は再稼働に向けて血道を上げ、春には原子炉に核燃料を入れるところまで進めた。だが、今年も動かなかった。この原発は、「今太閤」と称された元首相の田中角栄が礎を築いた。田中は立地自治体が潤うしくみも作り上げたが、村はそのくびきから、いまも抜け出せずにいる。
「原発を誘致できたから、東京に出なくても人並みの生活ができるんだ。早く再稼働すべきなのに、県議会は何をやっているのか」
元新潟県議の三富佳一(86)は、ため息を漏らす。三富と田中は刈羽村の隣にあった西山町(現柏崎市)出身。雪深い町で育った田中は、産業振興が進む太平洋側をうらやみ、「国土の均衡ある発展」を掲げた。
三富は県議を10期務め、田…