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夏川草介さん=2024年6月11日、松本市、遠藤和希撮影
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 新型コロナウイルスが感染症法の5類に移行してから1年余りが過ぎた。小説「神様のカルテ」の著者で、長野県内で医師としても働く夏川草介さん(45)はコロナ禍の前後を振り返り、「これだけの大災害が起こっても、人間は変わっていない」と感じている。その一方、「自分の中で得たものもある」という。新著「スピノザの診察室」に込めた思いを含め、語ってもらった。

 ――コロナ禍を振り返り、どのように感じますか?

 「第1波では、自分が新型コロナの患者を診ているということを他の病院に勤めている、同じ信州大学を出た仲のいい友人たちにも話すことができませんでした」

 「当時はワクチンも治療薬もない。空気感染か飛沫(ひまつ)感染かさえはっきりしない状況で、私たちの診療チームは最終的に10人以上の患者と、50人以上のコロナ疑いの方を受け入れました」

 「病院名を公表すると地域の不安感をあおるという理由で、どの病院が受け入れているかも一般の人は知らない。未知のウイルスに対するプレッシャーを誰にも話すことができない孤立感がとても大きかったです」

「小説を書くことが精神安定剤に」

 ――「臨床の砦(とりで)」「レッドゾーン」では戦場のようなコロナ禍の診療状況を描かれています。

 「感染症への恐怖感もありましたが、誰かにうかつな相談もできない。焦りとか、いら立ちが渦巻いて、気持ちが高ぶり眠れない毎日でした。小説を書くことが精神安定剤になりました」

 ――一連のコロナ禍での診療を通して、考えさせられたことはありますか。

 「公衆衛生上、未知の危険なウイルスに対して、すべての病院が公平に対応するという方法は感染リスクを拡大させるだけで、まったく正しくない。そういう意味で、一部の病院だけが対応に当たったことは間違いではないと思います」

 「ただ今回は、それが明確な理念と統率のもとに行われたわけではなく、大多数の病院が患者を拒否したために、結果的にそうなったに過ぎません」

 「呼吸器内科医もおらず、(空気が外に出ない)陰圧室も整備されていない田舎の小病院が、新型肺炎の最前線になるというのはまともな事態ではありません。見て見ぬふりをするのではなく、みんなが力を合わせる。感染症との闘いで大切なことは、そんな単純なことかもしれません」

新著での問いかけ「幸福に生きるとは」

 ――これまでの著書の舞台は主に信州でしたが、新著では京都に変わりました。描かれる病気も、コロナからガンに変わりました。

 「死が待ち構えている人生において、幸福に生きるとはどういうことかという大きな問いを立てて展開したいと思っていました。テーマを変えたことを明確にするため、舞台も変えました。京都は私が高校生時代まで過ごした町です」

 「私自身は内科医として患者さんをなんとか助けたいと思ってきましたが、医学ではどうにもならない疾患は山ほどある。もっと広く患者さんを診られるように、訪問診療や在宅でのみとりもやるようになりました」

 「ところが、治療とかみとりといった枠組みの向こうに、もっと大きな本質があるという感覚を、新型コロナの感染拡大が始まる少し前ぐらいから感じるようになっていました。一番大切なことは、端的に言って、目の前の患者さんが笑って幸福に過ごせることだと」

 ――5類に移行後は社会、経済活動が再開し、アフターコロナの空気になっています。

「たぶん人間は変わらない。それでも…」

 「実は、コロナ禍の前後で何…

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