「国家戦略」という言葉。いつごろからよく聞くようになったのだろう。そもそも、目指す意味をみんなで共有できる国家の目標などあるのだろうか。「五箇条の誓文を読み直してみては?」と、日本の政治思想史に詳しい政治学者の苅部直(かるべただし)さん(東京大学教授)は提案している。総選挙まっただ中の今、話を聞いた。
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「富と力」が目的の「国家戦略」
政権の総合的な政策体系を「国家戦略」と呼ぶことは、今では普通になっていますが、昔からそうだったわけではなさそうです。
たとえば、田中角栄元首相のビジョン名は「日本列島改造論」(1972年)、大平正芳内閣のそれは「田園都市構想」(79年~)、小渕恵三内閣は「21世紀日本の構想」(1999年~)でした。
流れが変わったのは今世紀に入ってから。小泉純一郎内閣に「知的財産戦略会議」ができ、民主党政権になると「新成長戦略実現会議」や「国家戦略会議」が設置され、加速した形です。
実は僕は、野田佳彦内閣が国家戦略会議を設置した際に、将来の国家構想を考える部会の一つで部会長を務めています。2012年の話です。
報告書をまとめましたが、その年の年末の総選挙で民主党から自民党への政権交代が起きたため、提言が政策に反映される道筋は断たれてしまいました。
国家戦略という言葉がシンボル化される現象は90年代の政治改革の落とし子でしょう。内閣機能を強化して縦割り行政を打破する/決定を迅速化させる/目的を明確化させる。それらが大事だとされる時代背景があってのことだからです。
一般に国家戦略なるものの目的とされるのは「富と力」でしょう。しかし、いまや経済格差感の広がりを止めることはどんな政治家にも難しくなり、防衛力を整備しても安全が保たれるかは東アジアの状況次第というのが厳しい現実です。人々から安定した支持を集めるには、富と力を超える価値やビジョンを掲げることが必要になっています。
「誓文」に刻まれた平等の理想
明治政府の発した「五箇条の誓文」と、戦後に生まれた日本国憲法を、現代的に再解釈することを提案します。
明治政府の示した国家目標と…