東京大空襲の犠牲者を慰霊する法要会場で花を手向ける人たち=2025年3月10日午前9時59分、東京都墨田区、恵原弘太郎撮影

 太平洋戦争末期の米軍による爆撃で、一夜にして約10万人の命が奪われた東京大空襲から10日で80年になった。東京都墨田区の都慰霊堂では、犠牲者らを悼む「春季慰霊大法要」(都慰霊協会主催)があり、秋篠宮ご夫妻や遺族ら約160人が参列した。

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 空襲で親族を失い父親が大やけどを負った内田和江さん(87)=東京都新宿区=は遺族代表として手を合わせた。「小学校の時に逃げ惑った記憶がよみがえり、ここへ来るといつも胸がつかえる。こんなことは二度と起きてほしくありません」と語った。

 東京は1945年3月10日未明、約300機の大型爆撃機B29による攻撃を受け、下町を中心に焼夷(しょうい)弾による大火災が発生した。約10万人が死亡したとされるが、実態は今も分かっていない。被災者は100万人、焼失家屋は約27万戸にのぼり、当時の東京35区のうち本所、深川、浅草などの6区は大部分が焼け野原となった。

 東京大空襲は、米軍が日本の市街地を焼き払う無差別空襲に踏み切る起点となり、東京は4月の城北空襲、5月の山の手空襲など繰り返し大規模に攻撃された。45年8月の終戦までに、名古屋、大阪、神戸、福岡など全国各地の都市が焼夷弾で攻撃された。

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