冷戦後の日米は、コメ市場開放以外の経済問題でも対立を深めた。双方で政権交代があった激動の1993年を、外務省が26日に公開した外交記録からたどる。
「米国が圧倒的な競争力の故に、自由貿易の旗頭であり得た時代は過ぎ去ったという現実は直視しなくてはならない」。クリントン政権発足の翌月の1993年2月16日、駐米大使の栗山尚一が「極秘 限定配布」の東京への公電に記す。
前年のGDP(国内総生産)は米国6兆5千億ドル、日本約6割の3兆9千億ドルになり、国民1人あたりで米国2万5千ドル、日本3万2千ドルと日本が上回っていた。
冷戦で米国と対峙(たいじ)したソ連が91年に崩壊。米国に安全保障を頼りつつ貿易黒字を積み上げた日本への視線が厳しくなっていた。クリントンは92年秋の大統領選で経済重視を掲げ、現職のブッシュ(父)を破った。
ソ連崩壊後、日本に厳しくなった米国
栗山は公電で、「クリントン…