シャツのボタンを妻(左)につけてもらうトンさん。ボタンのある服を1人で着ることはできない=2024年6月6日、金沢市、小玉重隆撮影

 「バリッ」という音が響いた。10本の指と手のひらの一部が、腕からちぎれていく音だった。「手が外れるのを感じた時、長年の親友を失った気持ちになりました。一瞬にして自信も失いました―」

 2023年6月、金沢市の製紙工場で働くベトナム人のグエン・タン・トンさん(37)は仕事中の事故で両手を切断した。トイレットペーパーを作る機械に片手が挟まれたのだ。とっさにもう一方の手で引き抜こうとしたら、両手が挟まれてしまった。コロナが収束し仕事が徐々に忙しくなってきた時だった。その後、太ももなどからの皮膚移植を行う治療とリハビリの日々が始まった。

 「もう働くことができない」。そんなことを考えては病室で何度も泣いた。両手がない自分を見つめる周囲の目が怖いと感じ、退院後は引きこもりがちになった。

 トンさんが働く製紙工場は、病院やホテルで使われるトイレットペーパーを製造する、いわゆる第2次産業に分類される。金沢市は、文化的な商業都市として知られ、北陸新幹線の開業後にはホテルや商業施設の建設が相次いだ。若い人材は観光業などの第3次産業に流れていく。従業員を1人増やすために募集をかけても、面接すらできない状況が続いていた。そこで注目したのがベトナム人の労働力。2人を正社員として雇ったが、その一人がトンさんだった。

切断した両手=2024年6月6日、金沢市、小玉重隆撮影

 「年老いた両親、6歳と4歳の子供、そして妻をこの手で養ってきたが、生活は苦しかった」。トンさんがベトナムでの生活を振り返る。地元の大学を卒業後、金属加工の旋盤技術者として働いたが、賃金は低かった。初めての来日で不安もあったが、専門知識と実務経験を生かして日本企業で就労できる在留資格を得て、3年前に入社した。

 「『家族を幸せにしたい』という熱意であふれていた。機械の操作の習得にも積極的で、こちらがブレーキをかけないといつまでも働く人だった」と会社の社長が明かす。なくてはならない働き手だったトンさん。職場の中心に配置されようとしていた矢先に、その手を失った。「手さえあれば、私は生きて働ける。家族に手を差し伸べられるのに……」

■義手製作にある地域の差…

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