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自宅のリビングに飾られた写真。家族との思い出であふれる=2024年12月7日午後5時22分、金沢市、金居達朗撮影

 「ただいま」

 仕事から帰ると、暗く、静かな和室の電気をつける。

 一人ひとりの名前を呼びながら、四つの骨箱にそっと手を添えて伝える。

 「きょうも生かしてくれてありがとう」

 2024年元日の地震で妻と子どもを失った大間圭介さん(42)は、金沢市内の築4年のマイホームで夜ごと語りかけている。

 5人家族が1人になった、あの日から1年。

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家族の祭壇に手を合わせる大間圭介さん=2024年11月27日午後7時29分、金沢市、金居達朗撮影

【連載初回】家族と過ごした元日

昨年の元日、最大震度7の激しい揺れが能登半島を襲いました。能登の人たちは家族や友人らと楽しい正月を過ごしていました。

 新年を迎えたのは、石川県珠洲市仁江町の山あいにある、妻はる香さん(当時38)の実家だった。

 長女の優香さん(当時11)、長男の泰介さん(当時9)、次男の湊介(そうすけ)さん(当時3)を含め、親族12人が集まって「正月ごっつぉ」を食べ、「人生ゲーム」は佳境に入っていた。

 午後4時6分、家が大きく揺れた。市内で震度5強。怖がる子どもたちの背中を大間さんがさする。

 仕事は警察官。「ごめんね。お父さん、仕事に行かなくちゃいけないから」と声をかけ、はる香さんに「あとは頼んだよ」と伝えた。

 玄関の引き戸を開き、車へと向かっていたとき、2度目の、さらに激しい揺れに襲われた。

 立っていられず、思わずしゃがみ込む。

 ガシャン、ガシャンと、瓦屋根が割れる音が耳に届く。

 目線を上げると、音を立てて裏山が崩れ、土砂が迫ってくるのが見えた。

 のまれないよう、必死で走った。

 11人の親族と過ごしていた妻の実家は、一瞬で大半が土砂に埋まった。

 妻と3人の子どもたち、妻の両親、祖父母、義理の姉。あわせて9人が亡くなった。

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裏山が崩れ、大間圭介さんが家族や親戚と過ごした家屋が土砂に流された=2024年1月5日、石川県珠洲市仁江町、小島弘之撮影

 金沢市の自宅に1人で帰ると、冷蔵庫には妻が作り置きしていたおかずが、そのまま残っていた。

 保健師のはる香さんとは共働き。はる香さんが料理を担当、大間さんは洗濯や料理を担っていた。

 1月23日。はる香さんの勤め先にあいさつに行き、私物を持ち帰った。見慣れた白衣もあった。

 洗濯担当だった自分が、何度も洗ってきた妻の仕事着。床に広げて、スマホで撮り、インスタグラムに初めて投稿した。家族のことを知ってもらいたかった。

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妻のはる香さんの白衣を手にとる大間圭介さん。圭介さんが洗濯の担当だったという=2024年12月7日午後4時51分、金沢市、金居達朗撮影

 24日は、はる香さんの顔写真、25日は湊介さんの幼稚園でもらったアルバム……。毎日のように投稿した。

大間さんはこの1年をどう過ごしたか。記事の末尾には動画もあります。

 優香さんの浴衣姿には「これ…

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