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沖縄県は10日、首里城(那覇市)地下に残る太平洋戦争中の「第32軍司令部壕(ごう)」について、中枢部につながる第1坑口などを2026年度から順次公開する計画案を公表した。崩落対策を施した上で内部の一般見学も可能にする。
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県の計画案によると、五つある坑口と坑道のうち、第1坑口と第5坑口を26年度、第5坑道を30年度に公開する。第5坑道は立ち入り見学ができるよう整備する。
昨年度の調査で初めて位置が特定された第1坑口では、地表下6メートルの地点から沖縄戦当時の床板や坑木が見つかった。発掘を続けながら26年度に公開するが、土質がもろいため調査終了後は埋め戻し、代わりにその上に当時の坑口を再現するとしている。
司令部壕は太平洋戦争末期、沖縄戦に備えて構築された。総延長約1キロ、最大1千人以上の将兵らがいたとされる。米軍の沖縄本島上陸後の1945年5月、第32軍司令部が首里から撤退する際に機密書類などを隠蔽するため壕内を爆破した。県は「沖縄戦を知る上で極めて貴重な戦争遺跡」と位置づける。
戦後に調査が行われたこともあったが、崩落の危険があり公開されていなかった。2019年に首里城正殿が火災で焼失し、再建とともに壕の公開を求める声が高まり、県が検討委員会を立ち上げて公開と保存のあり方を検討してきた。