広島・長崎両方で米軍による原爆投下を体験した「二重被爆者」の姉弟の足取りをたどる企画展が20日から、長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で開かれている。当時14歳だった姉の証言映像と、12歳だった弟の絵と文章で、8月6日と9日、その後の人生を伝える。
姉は、青森市在住の福井絹代さん(94)=旧姓・相川。弟は、2017年に84歳で亡くなった相川国義さん。2人は長崎市出身で、両親の離婚後に父の転勤で広島市に転居。父が召集され2人で暮らしていたとき、自宅で被爆した。復旧した列車で故郷をめざしたが、到着したのは9日。2発目の原爆で荒廃した長崎市内を歩き、再び被害に遭った。
広島、長崎の両方の原爆で被爆した人数について、厚生労働省は調べていない。長崎市によると3月末時点で、長崎市発行の被爆者健康手帳を持つ1万8904人のうち、広島・長崎両方で被爆したと申告した人は10人いるという。
「もう一度ふるさとへ」 再会した弟が書いていたもの
企画展初日の20日、会場を訪れていた姉の絹代さんは、来場者にこう語った。
「今もときどき、足の裏に変…