
大阪市西成区が誕生して4月で100年になるのを記念し、西成の釜ケ崎で生まれ育ったタレントで元プロボクサーの赤井英和さん(65)がPR役のアンバサダーに就任した。1年間、区と連携して記念イベントを盛り上げる。
就任式では、満塁ホームラン2本を狙うと宣言。その心は「西成の発展(8点)」として笑いを誘った。
臣永(とみなが)正広区長から記念法被を贈られると、「ハッピーです」。まちのヒーローと紹介されると、「今は疲れて疲労です」と、だじゃれを連発した。
赤井さんは東京に住んで30年ほどになる。地元愛が強く、今も月の3分の1くらいは西成かいわいで過ごす。確定申告も西成でしているという。「帰ってきたらホッとする。人と人の距離が近く、情のあるまちの良さを知ってほしい」
赤井さんが生まれ育ったのは釜ケ崎の長屋。小学生だった1970年に大阪万博があり、建設ラッシュで全国から釜ケ崎に日雇い労働者が集まってきた。
70年代前半は毎年、暴動が起きた。自宅の窓から見覚えのある労働者のおっちゃんが見えた。おっちゃんは機動隊と衝突し、血だらけになっていたのをよく覚えているという。
大学生だった80年、祖母が亡くなった。自宅の葬儀にはニッカボッカに地下足袋の労働者が訪れ、10円玉を置いて手を合わせてくれた。「そんな人情のあるまちを盛り上げていきたい」と語った。
赤井秀和さん略歴
あかい・ひでかず 大阪市西成区出身。浪速高校に入学し、ボクシングを始める。近畿大在学中の1980年のプロデビュー以来、12連続KO勝ち。強打を誇り、「浪速のロッキー」の愛称で親しまれた。83年の初の世界タイトル挑戦(ジュニアウエルター級)でTKO負け。復帰をかけた85年の世界前哨戦に敗れ、意識不明の重体に。この試合を最後に引退した。プロ戦績は19勝(16KO)2敗。89年に映画「どついたるねん」で俳優デビュー。映画「119」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。
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