認知症になった人々の勇気ある決断を紹介してきましたが、今回は私が医師になって10年ほどたったころ、約20年前に出会った、アルツハイマー型認知症の医師の話です。「医者なら自分の病気のことをよくわかっているから、動じることなく認知症を受け入れたのではないか」と思う人もいるでしょう。でも、そうではありません。彼は自分に降りかかった苦悩や寂しさを乗り越えました。私なら彼のように決断できませんでした。今回も個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名で紹介します。
認知症外来での失敗から
52歳だった高見沢正一さんは、神経内科医として地方の中核病院で「認知症外来」を立ち上げ、中心的存在として臨床を続けてきました。当時、平成15年(2003年)ごろには認知症を診る外来は少なく、遠方から多くの患者さんが受診していました。
忙しい毎日の代わりに休みはしっかりととっていました。ある年、休暇でスキーに出かけた高見沢さんは、初日にゲレンデで木にぶつかり、右肩骨折のため入院してしまいました。運悪く骨が粉砕したため、思ったよりも長い入院となり、その後のリハビリも含めると2カ月以上かかりましたが、彼は「さあ、これまでの遅れを取り戻すぞ」と言わんばかりに精力的な診療を再開しました。
ところが、患者さんの名前をカルテで見ても顔が浮かんできません。はじめは「しばらくぶりで忘れただけだろう」と思っていましたが、それが何度もくり返すようになりました。不安になった彼が大学の同級生のいる大学病院を受診したのは、それから8カ月ほどたったころでした。
親友に「病気なら告知してほしい」と告げましたが、こころの中では「何でもない」と信じていたのです。しかし返ってきた答えは「海馬と脳全体が縮んでアルツハイマー型認知症の初期らしい」という、思いもしなかった病名でした。
それからさらに半年ほどたった時、地元ではなく関西地域で診療をしている私の元にやってきました。学会で知り合い、意気投合して連絡を続けてきた仲です。私の診断も同じでした。
当時の彼は学会発表も頻繁に行い、学問的にもとても注目されていた人です。「さあ、これから」というときに告知され、さぞかしつらかったでしょう。
■大声で泣いた彼…