ニュースを見たくない。そんな人が世界的に増えているという。それは無関心というより、感情をかき乱されるのを避ける自己防衛反応なのでは――宗教学者の釈徹宗さんはそう見る。人々が他者の苦難を自分事と捉え、表層的でない真の「共感」力を発揮するために、報道はどうあるべきか。釈さんいわく、キーワードは「ロゴス」とのこと……。
共感あるからこそ「傷つきたくない」
古典落語に「阿弥陀池」という演目があります。無学な男がご隠居のほら話にだまされ、怒ると「新聞を読まないからだ」と諭される。世情に無頓着なのは恥で、知性を磨くにもニュースを追わなければならない……そんな滑稽噺(ばなし)です。新聞社にとっては良い時代の良い話でしょう(笑)。
かつては情報を得ることが身を助けた。でも情報過多の現代、身を守るために必要なのは、むしろ情報をカットするスキルです。
ではなぜ、その中で特に戦争や災害、政治ニュースを避けるのか。教える大学で学生たちに問うと、「傷つきたくない」と言います。争いや苦しみ、対立を見たくない、と。
僕は、人間は根源的に、他者のことを我がこととして捉える能力を備えていると思います。他の哺乳類のように個体が強くなる方向ではなく、分かち合いと協力によって生存する方向に進化した。だからニュース忌避は、ニュース無関心とは異なる心の働きです。
霊長類の脳には、ミラーニュ…