旧暦で元禄15(1703)年12月14日は、赤穂義士が江戸で吉良上野介邸に討ち入った日だ。この事件をきっかけに、赤穂義士と熊本は深いつながりができた。それはなぜか。事件を研究・顕彰する中央義士会(東京)で熊本山鹿支部長を務める宮川政士さん(74)を訪ねた。
待ち合わせたのは山鹿市杉にある日輪寺。駐車場には、討ち入りの錦絵が飾られ、山門の脇には「遺髪塔」と呼ばれる石碑がある。その名の通り、義士の遺髪が納められている。
討ち入ったのは47人だが、遺髪はリーダーの大石内蔵助以下17人分。討ち入り後、江戸幕府は処分を決めるまで、義士を大名4家に預けた。その一つが細川家だった。
「麦飯とイワシが恋しい」 義士の悲鳴
「ほかの3家が幕府の目を気…