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故・石井好博さんが監督を務めた習志野高校時代の話をする小川淳司さん(左)=2024年12月14日午後6時32分、千葉県浦安市、杉江隼撮影
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 元習志野高校野球部監督で、昨年11月に急逝した石井好博さんとの「出会いに感謝する会」が14日、千葉県浦安市であった。選手と監督の両方で夏の甲子園を制し、千葉に深紅の大優勝旗を持ち帰った石井さんとの思い出を、教え子ら約250人が語り合った。

 石井さんは1967年、夏の甲子園で同校のエースとして県勢初の全国優勝に貢献した。早稲田大学を卒業後、72年に同校の教員になり、監督に就任。75年には夏の全国大会で優勝した。

 監督として26年間、同校野球部を指導し、春夏通算で甲子園に6回出場した。野球部だけで約700人の教え子がいるといい、その中には75年の優勝時のエースで現在はプロ野球・ヤクルトでGMを務める小川淳司さんや元阪神の掛布雅之さんらプロ野球で活躍した選手もいる。

 昨年11月、成田市内でのイベント中に倒れ、急逝。「お別れ会」を開く話もあったが、通夜に多くの教え子らが駆けつけたことなどから延期になった経緯があり、有志が改めてこの日の会を企画した。

小川さん「非常に濃い3年間だった」

 発起人の代表を務める佐藤繁信さんは、最初の教え子の一人。石井さんが監督に就任した際の3年生でエースとして甲子園に出場した。佐藤さんは「通夜や葬儀はあっという間に終わってしまった。改めて感謝の気持ちを語り合いたかった」と開催の意図を話した。

 小川さんも発起人の一人となり、この日、ステージ上で「非常に濃い3年間だった」と高校時代を振り返った。当初は投手ではなかったが、石井監督の指示で転向し後にエースに。その理由を聞くことはできなかったが「きつい中でも続けられたのは、石井監督が私の性格を見抜いて指導してくれたから」と話した。

 その上で「厳しい指導で最高の結果を石井監督に与えてもらうことができた。今、プロ野球に携わって仕事を頂いているのは石井監督との出会いがあったから。本当に感謝の気持ちでいっぱい。ゆっくり休んでほしい」とも述べた。

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