「竹下」「細田」「桜内」の系譜
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 衆院島根1区補選の投票3日前の4月25日。松江市で建設会社を経営する男性(59)は社内の一角に従業員ら50人を集め、傍らにいる自民候補への支援を求めた。「島根1区、自民党の火を絶やしてはならない。自民党の力を借りなければ島根県は立ちゆかない」

 衆院に小選挙区が導入される1994年以前、島根は全県で一つの選挙区で定数は5。自民は竹下登、細田吉蔵、桜内義雄の3人が競い合った。男性は「中選挙区時代は建設会社も竹下、細田、桜内に系統が分かれていた」。竹下は田中派を割って自派閥を立ち上げ、後に首相に。現在の安倍派に所属した細田吉蔵は防衛庁長官や運輸相を歴任、桜内は旧中曽根派の会長から衆院議長に就いた。「先代は細田博之さんを可愛がっていた」。前衆院議長の細田は吉蔵の長男。過去の経緯を踏まえれば、補選はこの男性にとって負けられない戦いだった。

 地元政界の重鎮は「中選挙区ではそれぞれが大きな公共事業をやった」と懐かしむ。

 衆院への小選挙区制の導入以降、全国で唯一、自民党が議席を独占してきたのが島根県だ。今回の補選の敗北は、有力議員の競い合いで自民が各地で強固な地盤を誇った中選挙区時代のモデルが、島根という最強の自民王国でも崩壊したことを意味する。小選挙区導入から丸30年。個々の政治家が地方議員らを従えて戦う手法は機能せず、党の看板に左右されるようになった。そうした選挙のあり方が、いよいよ島根に及んだ。選挙制度など歴史的背景を踏まえ、検証していく。

 早大卒業後に帰郷した竹下は、地元中学の代用教員を務める傍ら、青年団の活動に参加。団のメンバーに推され、27歳で島根県議に初当選した。国政に転じた後は建設相などを歴任し、首相に駆け上がった。たびたび口にしたのが「道路イズ政治、政治イズ道路」。道路は政治そのものとの信念の下、ふるさとでの公共事業の旗を振った。

 運輸官僚出身の細田は、旧国…

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