都営住宅の一室で独り暮らしする、霞ケ丘アパート元住人の柴崎俊子さん=2024年4月19日午後2時11分、東京都渋谷区、後藤遼太撮影

 今日も、家から一歩も出なかった。

 つけっぱなしのテレビを見るか、窓の外の街の風景を眺めるしかない中、曇り空を旅客機が低空で飛んでいく。

 「今日はこれで五つ目ね」

 柴崎俊子さん(97)はつぶやいた。

 東京都心のど真ん中、3年前の五輪のメイン会場だった国立競技場近くの都営アパートに独りで暮らす。近所に知り合いはほとんどいない。

 「隣に住む人も知らないのよ。一日中ひきこもるのは苦痛だけど、どうしようもない。『孤立』、よね」と、かつての生活を懐かしんだ。

 下町・深川で生まれ育ち「大の祭り好き」。みこしを担ぐのが生きがいの社交的な性格だった。

 1951年、都職員の夫と結婚。今の自宅近くの都営住宅に移り住んだ。59年、1964年の東京五輪開催が決まる。整備計画のため、都営住宅は翌年解体。3~5階建てアパート10棟の「都営霞ケ丘アパート」(新宿区)が建った。

東京五輪の前に取り壊された都営霞ケ丘アパート=2014年10月8日、東京都新宿区霞ケ丘町、平岡妙子撮影

 柴崎さんら住民や近隣に住む人たちが入居し、濃密なコミュニティーを形成していった。夏祭りに運動会、新年会。イベントも豊富だった。集会所に行けば、いつでも友人に会えた。

 半世紀がたち、住民は高齢化。足が弱いお年寄りのため、青果店の店主が部屋まで食料品を運ぶ。そんな助け合いで、生活を支えていた。

「終のすみかと思っていた」

 2012年夏、「国立競技場の建て替えに伴う移転について」と書かれた文書が突然、都から配られた。五輪招致が閣議で了解された翌年だった。

 230世帯の住民の一部からは反対の声も上がった。柴崎さんも「終(つい)のすみかと思っていたのに……」と嘆いたが、3年後に解体が決まった。

 「こちらが用意した都営住宅が気に入らないなら、ご自分で一般の住宅を探して下さい」

 最後まで立ち退きにあらがった一人、菊池浩一さん(91)は、都の職員のそんな言葉が忘れられない。

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 「こんな年寄り、入れてくれ…

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