米国の高度な技術や製品を敵対国に渡さない「輸出規制」は、冷戦の終わりとともに役割を失ったかにみえた。しかし、中国の台頭は、経済的利益を損なってでも厳しい輸出規制を敷くべきだという「新合意」を生みだす。存在感を増す米商務省が、その舞台となった。
天候の観測から、家庭のホコリに含まれる汚染物質の測定まで、雑多な仕事の寄せ集め――。
商務省は、米テレビがそう評するほど地味な役所だった。脚光を浴びるようになったのは米中対立の深まりがきっかけだ。企業間の貿易に介入する輸出規制の権限を持っていたからだ。
規制の源流をたどると1997年に行き当たる。クリントン政権が、大量破壊兵器の開発などにかかわる外国企業を載せた「エンティティーリスト(EL)」を導入し、それを商務省が受け持つことになった。
兵器が拡散しないよう、問題企業を米企業に周知させるのが狙いだった。2001年の米同時多発テロを機に、掲載企業の対象などを拡大。名が載れば米企業との取引が困難になることから「ブラックリスト」と恐れられる。
16年3月。商務省がリストにある企業を加える。「ZTE」。スマートフォンの開発・製造などで急成長した中国の通信機器大手だ。
「あれが全ての始まりだった…