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試合後の記者会見で笑顔を見せるマリナーズ・イチロー=2004年
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 日本のプロ野球パ・リーグで7年連続の首位打者に輝いたイチロー氏は、2001年に大リーグ・マリナーズにやって来た。当時27歳。日本の野手として初めて大リーグの試合に出場した。

 あれから24年。いま、アジア出身選手初の米野球殿堂入りに近づいている。

 全米野球記者協会(BBWAA)は21日(日本時間22日)、2025年の米殿堂入り表彰者を発表する。最大の注目はマリナーズなどでプレーして今回初めて候補者に入り、アジア出身選手初の殿堂入りが確実視されているイチロー氏(51)だ。大リーグ通算19年間で残した功績について、関係者や識者に尋ねて回った。

 昨年7月、当時大リーグのコミッショナーだったバド・セリグ氏(90)を取材した。

 あらためてイチロー氏の第一印象を聞くと、こう答えた。

 「彼は最初から活躍しチームにも溶け込んでいたし、『ものすごい選手だった』印象しかない」

 公式戦が始まると「マリナーズ・イチロー」は輝き続けた。走攻守すべてで。

パワー全盛時に放った光

 当時の大リーグはパワー全盛の時代だった。1998年にはマーク・マグワイア(カージナルス)が大リーグの年間本塁打記録を70本に更新していた。

 日本のスター野手は通用するのか。懐疑的な声もあったが、セリグ氏は活躍を確信していたようだ。「全てにおいて能力が高いと言われていて、その評判は真実だった」と振り返った。

 イチロー氏は19年に引退するまで数々の記録を打ち立てた。特に04年に、84年ぶりに更新した年間最多安打記録の話になると、元コミッショナーは感嘆を漏らした。「イメージしてごらんよ、年間に262本だよ。とても信じられない」

 それ以上に評価したのが、グラウンド外での影響力だった。

 イチロー氏を皮切りに、24…

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