30年前、兵庫県西宮市に一人の学者と一人の作家がいた。歴代首相にも助言する歴史学者と、市民運動の先頭にも立つ思想家。異なる立場の二人は、阪神・淡路大震災を生き延びて、光を放っていく。
「大地の悪魔は、突然家を持ち上げ地面にたたきつけ、それでも気が済まず両手で家を左右に引き裂こうとしました。本気で殺しに来ている!」
西宮の甲陽園に住んでいた学者は1995年1月17日朝の出来事をこう表現した。傾いた家は全壊したが、6歳の娘をはじめ在宅の家族4人は無事だった。
「私は別室で寝ていた『人生の同行者』と娘の名前を必死に叫び、呼んだ。自分でも異常と感じたほどいつもとちがった叫び声が私の体内からほとばしり出た――」
作家は西宮の香櫨園浜に臨むマンションで地震に襲われ、著書にこう書いた。建物は残り、家族3人は無事だった。
神戸市に次ぐ大きな被害を受けた西宮市。1146人が死亡し、6万世帯余りが全半壊した。
地元出身で京大法学部卒の学者は当時51歳の神戸大法学部教授。主著に「米国の日本占領政策」(サントリー学芸賞)などがあり、後年は防衛大学校長も務めた。
作家は大阪出身で東大文学部卒の当時62歳。旅行記「何でも見てやろう」で有名になり、ベトナム反戦運動で注目を集めた。妻のことを「人生の同行者」と呼ぶ。
六甲山の裾野に静かな住宅街が広がる西宮。未曽有の大震災に襲われた二人は、やがてそれぞれの人生を傾けていく。
関係者が二人の「原点」「出発点」と証言する出来事がある。
地震の5日後、学者は堺市の…