米軍が広島、長崎に原爆を投下してから、もうすぐ80年。両方の原爆投下機に搭乗した米兵の孫と、両方で原爆に遭った「二重被爆者」の孫が出会い、友情を築いています。2人に折々の国際情勢に触れながら手紙を交わしてもらう企画を始めました。

 祖父ジェイコブ・ビーザーは1945年8月、広島と長崎に原爆を投下した両方の爆撃機に搭乗した、世界でただ一人の男です。米国の学校では、第2次世界大戦を終結させた英雄だと教えられてきました。

 ぼくは祖父のことを「パップパップ(父の父)」と呼んでいましたが、あまり覚えていません。92年に71歳で亡くなり、ぼくはまだ4歳だったからです。

 核兵器は無差別に人を殺します。核兵器を使う側にも影響を与えうるのです。原爆の放射線は祖父の体を内側からむしばみ、90年に骨がんを発症しました。長崎への原爆投下任務にあたったB29爆撃機「ボックスカー」は燃料ポンプに不具合があったといわれます。機内の密閉が不十分で、搭乗員は放射線を浴びた可能性があったそうです。

 祖母は、核実験などで被曝(ひばく)した退役軍人に経済的援助を行うプログラムを通じて補償を受け取っていました。その意味では、祖父もまた「ヒバクシャ」だったのです。

 第2次世界大戦中に経験したことについて、祖父は生前よく語っていました。その点で、祖父は珍しい存在でした。人類が原爆を発明し、それを同じ人類に使用したことを忘れさせないようにする義務があると感じていたのです。映画「博士の異常な愛情」が描いたように、人類が次の核戦争で生き残れるとは信じていなかったのでしょう。

 85年、米ABCの記者とともに広島平和記念公園を訪れた祖父は「いかなる戦争行為にも、誇れる瞬間などない」と語りました。自分が参加したこと(原爆投下)の重さ、それが世界全体にとって何を意味するのかの重さを感じ、二度とこのようなことが起こってほしくないと願っていたのでしょう。

 核兵器は将来の戦争を抑止するはずでしたが、その抑止力には欠陥があることが証明されました。核兵器があっても、イエメン、南スーダン、コンゴ、ベネズエラ、ガザ、ウクライナで、戦争と残虐行為は人類を苦しめ続けています。

 単に核兵器をなくそうとするだけでなく、もっと深いところにも目を向ける必要があります。平和なくして核兵器廃絶は達成できません。人間同士のより良い関係なくして、祖父たちが経験した恐怖から、未来を守ることはできないと思います。

 11年前、広島・長崎「二重被爆者」山口彊(つとむ)さんの孫である原田小鈴さんと知り合いました。コスズさんとは友人となり、「キノコ雲の上と下」にいた祖父たちと、孫たちの物語を組み合わせて、平和のメッセージを世界に届けるために協力しています。(文=アリ・ビーザー、構成=核と人類取材センター・田井中雅人)

  • 【コスズからアリへ】ボイコットされた平和祈念式典 かつて敵同士だった国の友への手紙
  • 【アリからコスズへ】「ノーモア」へつなぐ祖父たちの物語 米国のユダヤ人として願う平和

アリ・ビーザーさん略歴

Ari Beser 1988年、米メリーランド州ボルティモア生まれ。広島・長崎両方の原爆投下機に搭乗したジェイコブ・ビーザー氏の孫。被爆者やその家族らとともに平和活動に取り組む映像作家。https://www.aribeserphotography.com/

共有
Exit mobile version