
1945年の沖縄戦を取材中に殉職した朝日新聞那覇支局長・宗貞利登(むねさだとしと)さん(当時44)の足跡を、静岡市に住む孫の渡辺礼子さん(60)がこの2月、子どもたちとたどった。
戦後返還された遺品の社旗との対面や、最期を迎えたとみられる壕(ごう)での遺骨収集の体験は、追悼だけでなく、次世代に戦争の記憶をつなぐ旅になった。
那覇市中心部の朝日新聞那覇総局を訪れた礼子さんは、保管されていた社旗を手に取り、「色がここまで残っているんですね。祖父に触れたようで感慨深い」と見入った。社旗は、宗貞さんが亡くなるまで持ち歩いていたものとみられ、戦利品として米国に持ち去られたが、1995年に返還された。
「幸せな風景かな、残酷な風景かな」
03年に那覇市内の壕から見つかり、持ち主は報道関係者だったのではないかとみられているカメラも見ることができ、長女のしずかさん(24)は「何を撮っていたのかな、幸せな風景かな、残酷な風景かな」と思いをはせた。
宗貞さんは44年6月、台北…