河村たかし名古屋市長は30日の会見で、「祖国のために命を捨てるのは道徳的な行為」と発言したことについて、問題ないとの認識を示した。市民団体や自民党市議団などから批判が出ているが、河村氏は撤回しなかった。
- 河村市長「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」 会見で持論、釈明も
河村氏は22日の会見で、高校生の働きかけをきっかけに制定された5月14日の「なごや平和の日」の意義を問われ、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザを引き合いに「人はなぜ殺し合うのか」と、戦争が始まる要因を考える必要性に言及。そのうえで太平洋戦争の戦没者も含め、「祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為だ」と述べた。さらに、学校教育の現場でも「一定は考えないといけない」と主張した。
これに対し、市民団体などが「国民の犠牲を美化している」と抗議。市議会最大会派・自民党市議団も会見で、「戦争の基盤は殺戮(さつりく)。その行為を道徳的というのは不適切」(藤田和秀団長)と批判した。
河村氏はこの日の会見で、「道徳的」の意味は「感謝される対象、徳がある」と説明。「(世界は)残念ながら第2次世界大戦を起こして膨大な人を殺した」「戦争なんかない方がいい」との認識を示したうえで、「祖国が間違っていたこともあるが、わけわからん歴史の中で命を落とした人たちの死は全く無意味なのか」と反論。そのおかげで今の平和があるとし、「祖国のために死んでいったことは一つの道徳的行為だった」と改めて強調した。また、改めて戦争の原因を突き詰めるべきだとし、「なぜ国のために命を捨てないといけないのかを議論することが必要」とも語った。
日本大学の古川隆久教授(日本近現代史)は、河村氏の発言は国の命令・判断に従わざるを得なかった戦前の歴史的な経緯を無視している、と指摘。「国が『大変だ』と言ったら無条件で命を投げ出せという意味にすり替わる可能性がある」と話す。世界的に見て侵略に対して「命を捨てる」ことに敬意が払われるのはよくあるとしたものの、「歴史的に見れば容易に『戦争に行くべきだ』という議論に発展したし、むしろそのためにこういう話が盛んになされてきた」と警鐘を鳴らす。
近現代史研究家の辻田真佐憲氏は「戦争で死ぬことを『道徳的』とすると、それが『推奨すべき良いおこない』となる」と指摘。現職市長がこうした発言をすると、「慰霊をすること以上を市民に求めているように聞こえる」と危惧する。市は「なごや平和の日」を制定したばかりで、「戦争の犠牲者を悼むための式典のはずで、いったい何を伝える日にしたいのか」と疑問を呈す。(寺沢知海、野口駿)
河村たかし名古屋市長と記者団の主なやり取り
――発言の撤回を求める声があがっている。
捨てるという表現はちょっとね。捧げたでもいいんですけど。みんなで感謝すべきということは、当然反対する思想の人もいますから。国家がなんだ、祖国がなんだと。しかし、国際連盟はありましたけど、残念ながら第2次世界大戦を起こしてしまって、膨大な人を殺した。国という存在自体が一つの守るべき、国で威張ってる役人は大嫌いですよ。なぜ第2次世界大戦をやってしまったか、これは重要な問題ですよ。だけど祖国は一つの命をお互いに守っているということは事実ではあります。そういう意味で命を捨てたという人もいますし、捧げた人もいる。やっぱり『ありがとう』『サンキューベリーマッチ』というのは、これがなかったら、しかしどうなんですかね。ええんですかね、本当にそういう気持ちがなくなったら。日本国は300万人第2次大戦で亡くなってますからね。200万人は軍人、100万人は空襲被害者。空襲被害者に補償したのは浜松市と名古屋市だけという状況なんですけど。そういう流れの中でありがとうという気持ちを持つことは非常に重要なことだと思いますよ、私は。受験勉強ばかりやってるもんで、戦争に行く過程の勉強がないんですよ、日本は。なぜこういう悲劇が起きたのかということを考えたときに、亡くなられた方に敬意を払うことは大変必要な行為じゃないかと思いますよ。
――国が大変なら戦争に行かなければならないという意味に受け止められかねない。
祖国のために命を捨てる、祖国のために命を捧げるということには、みなさん敬意を払ってるんじゃないですか。もちろん行かせた方の責任は別ですよ。それはとんでもないですよ。アメリカと戦争やって何やっとったんだと。南方の石油は確保できるからといって。相手があることだからとんでもないけど。僕は思いますけどね。違うんですかね。
――市長の立場で発言すると国のために行きなさいという意味に受け止められかねない。
そういうことを言われる方もおられるかね。
――市長は権力者ですから…