1952年当時の横浜駅西口=相鉄グループ提供

 相鉄グループが横浜駅西口の「大改造」に乗り出す。6社局10路線が乗り入れる横浜の玄関口はどう変わっていくのか。

 今年6月に開業した高層複合ビル「THE YOKOHAMA FRONT/ザ ヨコハマ フロント」の42階で9月、相鉄ホールディングス(横浜市西区)の滝沢秀之社長と不動産部門を担う相鉄アーバンクリエイツ(同区)の左藤誠社長が西口の再開発構想「大改造」を発表した。

「何もなかった」地区を開発

 戦後何もなかった西口の開発を牽引(けんいん)したのは相鉄グループだ。

 1952年に周辺の土地を取得し、59年には横浜高島屋、64年にはダイヤモンド地下街、73年には相鉄ジョイナスと相次いでオープンさせた。

 今では1日の乗降客数は約200万人で、首都圏4位を誇る。

 しかし、開発がスタートして70年余りたつなかで建物の老朽化が進み、オフィスビルの不足も目立つようになった。さらにこの間、新宿、渋谷、品川など都心エリアで再開発が進んだ。

 相鉄グループも手をこまねいていたわけではない。19年にJRと、23年に東急と直通運転が始まり、都心と相鉄線沿線が結ばれた。この好機を生かそうと、14年から沿線開発を進めてきた。

 今年、こうした沿線開発にめどがついたことで、いよいよ西口の再開発に乗り出すことになったという。

水辺にマーケット、サップボードで回遊も

 「大改造」構想では、自社が…

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