記者コラム「多事奏論」 編集委員・伊藤裕香子
新幹線で常に左の窓側席に座った磯島裕介さん(47)の目は、往復ともずーっと、窓の向こうにあった。お盆あけの週、年に1度の「車窓から外を眺める仕事」。勤め先の看板「727 COSMETICS」の白地にくっきり映える赤い字が、瞬時に走り抜ける車両からしっかり見えるか、一つずつ確認した。
美容院専売の化粧品を扱う大阪市のセブンツーセブンは1979年以降、新幹線沿線の屋外に大型看板を置いている。国鉄で東海道新幹線が走り始めて16年目、昭和の第2次石油危機のころに「ビジネスマンがしっかり目にする広告」をねらったのがはじまりだ。
車窓からの目視では、看板が周りに建った住宅に埋もれていないか、防音壁ができて隠れていないか、万が一倒れていないかなどをチェックする。土地の持ち主が亡くなり、離れた場所に住む子どもから、相続を機に撤去を求められたこともあった。担当して14年になる磯島さんが看板を通して感じるのは、沿線で進む宅地開発に核家族化や過疎化、激しさを増す豪雨災害など。令和の日本が直面する、幅広い社会課題と重なる。
新幹線に乗ると自分を含めて、手元のスマートフォンやパソコン画面を見つめたままの人は多い。
パソコンで仕事をする乗客向けのSワーク車両は、コロナ禍の2021年秋に「のぞみ」で始まり、昨秋に「ひかり」「こだま」へ広がった。仕切りのついた席や個室型ブースもできて、JR東海は「ビジネスのお客さまが車内で快適に仕事をできる環境の充実」に力を注ぐ。
様変わりしたいま、どれほどの人が看板を眺めるのか。磯島さんは「広告効果の数値化は不可能で感覚的な話ですが、田畑にぽつんとある看板はやはり目立ちますよね。時代が変わり、窓の外を見る人は相当減ったでしょう。けれど何度か目にした人には、たぶん記憶に残してもらえていると思います」と答えた。
この看板と京都の美術館で偶然、出会う。現代美術家の村上隆さんの作品「727の誕生」で、虹のような色の細かな字でつづられた文章の中に登場する。
「田んぼにポツンポツンと現…